おじさんは母の弟で母と一番仲がよく可愛がってもらった人。金曜に病院ホスピスに着く。末期ガンで骨にまで転移。肺炎を併発し高熱が出てる。酸素マスクをつけ痩せたおじさんに会う。母と私の顔をみて涙ぐむおじさん。もう話せなくなっていたが身ぶり手振りでありがとうありがとうとくりかえし自分の体もキツイのにご飯たべたのかなどと気遣うので胸がいっぱいになる。奥さんと娘二人(娘一人は臨月で金曜が予定日)でつきっきりの看病で2日程寝てない感じだったのでとても帰れず二人に代わって夜は母と付き添いをする。母は元看護婦のため心強い。何もしてあげれないが手を握ったり、 足をアロマでしてもらうようにマッサージをしたり、看護婦を呼んだり二晩付き添う。日曜の十時半位に90はあった血圧が60にまでさがる。昼12時頃私の弟といとこが着いたので母は迎えに私は風邪薬を買いに行ってる間になぜか奥さんと娘さんだけの間に息を引き取った。きっと二人だけに看取ってもらいたかったのだろう。少し不思議だった。それまで何人もいたのに。一度おうちに連れて帰り次の日に葬儀所でお通夜をしたが、福井は冠婚葬祭がハデと聞いてい
たが亡くなったら福井新聞に載せるらしい。驚きだ。焼香はまわり焼香といってあらかたの人は焼香だけして帰るのだそうだ。人数が多いので入りきらないからだろう。人数が多いのにも驚いたが訃報をきいてかけつけた何人もの男の人が泣いていた。あまり今まで親族以外が何人も泣いているのを見るのは初めてだ。おじさんの人柄と今までまわりの人を大事にしてきた証だろう。それにお経やご詠歌を皆で唱えご詠歌は大合唱になり驚き、感動した。人は亡くなった時にその人本当のの価値がわかるというがまさにそうだと思った。人数が来るだけならあるだろうが多くの人々に本当に悲しまれ惜しまれている人 そんなお葬式はそうないと思った。私が帰れなかったのも自分よりまわりに気遣う姿を見たからだ。目だけが昔と変わらずやさしいまつげの長い目が 瞼に焼き付いて離れない。2日間そばについてあげてよかったと思う。娘と奥さんが少しでも楽ができ夜寝れたのでおじさんも喜んでくれたかな?娘さんの三人目になる赤ちゃんはお通夜が終わる頃無事に産まれたようでした。人が一人人生の終わりを遂げることの重さをひしひし感じれたのは短いけど最後の2
日をそばにいれたからだと思う。64年の人生は重い。ひしひしと感じた。店番とわんこ達は旦那がちゃんとみてくれてました。感謝