洋犬コロが語りはじめる小説です。家族を見守るコロの思いがあふれ出すストーリー。

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Oct 04, 2005
[ 連続小説 ] 第11回

 

 お母さんの覚悟

 

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 「家のことだってちゃんとやっているんだから、いいじゃない」
 「ちゃんとやってるようには見えないね」
 「やってますよ、子供たちの食事だって作ってるし、家の掃除洗濯、コロの散歩、ちゃんとやってますよ。帰ってくるのが遅いからわかんないんじゃないの」
 「出来合いのものだったり、店屋物をとったりする回数が増えたって、子供たちから文句が出てるじゃないか」
 「毎日じゃありません」
 「毎日だったら、問題だ」
 ケンサンは続けて言います。
 「仕事仕事って言うけど、いったいどのくらいの利益が上がってるんだ。これだけ家族の時間を割いて、車を使って、ひとつきにどのくらいの利益を得ているのか説明してくれないか。この在庫の山を見る限りでは、とても利益が上がっているとは思えない」
 「売上はちゃんと上がっていますよ」
 「利益だよ、純粋な利益」
 「……」
 「5年間も勤労奉仕どころか、持ち出ししているとは思わないの。コンビニのレジのパートだって、ちょこっとやって月に5万円くらいは稼ぐでしょ。5年間だったら300万円の利益になるんだよ。今の仕事、5年間でいったいいくらの利益を上げたのか教えてよ。せめてこれだけ稼いできたと言うことがわかれば、子供たちにだって説明がつくというもんだ」
 「……」
 ボク、グーの音もでないお母さんが少し可哀想に思えちゃいましたけど、やめると絶対言わないお母さんのしぶとさも同時に感じちゃいました。

 

つづく。

 

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Sep 29, 2005
[ 連続小説 ] 第10回

 

  親おや・・・

 

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 その人は、いつもずいぶん派手な洋服をきちんと着て、いかにも仕事をしていますっていう感じの奥さんでした。ボクも何度かあっています。
 その人の家では、奥さんがこの下着販売の代理店として会社を設立し、自分が社長におさまり、ご主人が専務となって本格的にやっているんだそうです。
 お母さんが、ケンサンにその人の話をするときは、とてもうらやましそうにいうんです。優しいご主人が奥さんの仕事をサポートしていて、とても素晴らしいなんていうんですから、ケンサンとしてもムッとしちゃうわけですよ。
 お母さんって、すごく素直で、結構他人のいうことを受け入れちゃうタイプ。その反面、身内のいうことにあまり耳を傾けようとしないところがあると思うんです。要するに、外ヅラが滅法よくて、どちらかといえば、内ヅラがよくないっていう感じかな。
 影響を受けてきゃちゃうんです、憧れたり、付き合っている人に。
 ひところ、ケンサンに一緒に下着販売の仕事を手伝ってほしいなんていってたことがありました。そばで聞いてたボクでさえ、びっくりしましたよ。
 ケンサンっていう人は、そういうことが大嫌いな人なんです。自分の仕事を家に持ち込まない主義。公私を混同しない頑固なまでの人なんですから。
 お母さんの要求はあまりにもケンサンの人柄を無視した大胆なものでしたね。
 お母さんって、こういうところがあるんです。優しいし、穏やかだし、外での愛嬌もあるし、努力家だし、料理は上手だし、ボクの世話もよくしてくれる人。
 なのに、時々、余りにも大胆で、余りにも聞き分けのない要求をしちゃったり、それを実現させるために誰にも相談しないで行動を起こしちゃったりすることがあるんです。
 こういうとき、ケンサンは猛烈に怒ったり、時間をかけて説得したり、あの手この手で、それを止めさせようと試みるんですけど、結局はお母さんの勝ち。絶対にケンサンの言う通りにはしない。
 お兄ちゃんやタクちゃんが、中学生くらいになると、お母さん、もう理屈じゃ勝てないことって起きてくるじゃないですか。つまり、理屈ではお兄ちゃんたちのほうが筋が通っているっていうことがあるわけです。それでも言い合いが続いてしまうと、最後にお母さんのせりふがすごい。
 「子供のくせに生意気なことばかりいって、親に向かっていうことじゃないでしょ」
 「じゃあ、親らしくしろよ」
 お兄ちゃんたちも負けてはいません。
 これは親が子供を叱っているなんていうのではなくて、レベルの低い親子げんかでしかありません。
 お母さんはどちらかというと、お兄ちゃんよりも、タクちゃんのほうが好きだったみたいです。
 ボクが見たところ、お兄ちゃんとケンサンの仲があまりにも緊密だったから、お母さんの入り込む隙がなかったんだろうと思うんですよ。
 その分、タクちゃんへ重心がかかっちゃったんでしょう。
 高校生になってからは、お兄ちゃんの学校へお母さんが出かけていったことは一度もありません。ところが、タクちゃんの学校へはよく出かけていってたようですから。父母会なんかに出かけていっては、すぐに友達ができちゃうっていうのが、お母さんの特技。
 サッカー部だったタクちゃんの試合はたいてい見に行ってたみたいです。
 もちろん、ケンサンだってタクちゃんの試合を見に行くこともありましたけど、ケンサンはあまりサッカーを知らないみたいで、お兄ちゃんの野球に比べると、やっぱりテンションが低いっていう感じは否定できません。 ボクにでさえ、そう思えるんですから、タクちゃん本人にとっても、ケンサンに対する不満はあったと思います。
 下着販売の仕事を初めて5年くらいが過ぎた頃だったと思います。ケンサンが意を決して説得したことがあるんです。仕事をするなというんじゃないんだと前置きして、お母さんの仕事の仕方についてクレームをつけたんです。

 

つづく。

 

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Sep 27, 2005
[ 連続小説 ] 第9回

 

 家庭崩壊

 

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 ケンサンはお母さんが仕事に出かけることについて、基本的に認めていたようですけど、お兄ちゃんたちとの衝突の場面では、ほとんど口を挟みませんでした。
 お兄ちゃんやタクちゃんの怒りがおさまらず、あまりエスカレートしちゃったときだけは、「もう、いい加減にしておけよ」と割って入ったりします。
 子供たちが部屋に入っちゃった後、必ず、お母さんとケンサンの口論がはじまるんです。
 「なんで、子供たちを叱ってくれないの?もっとあなたからも厳しく言ってくださいよ」
 「……」
 「黙ってるから子供たちがつけ上がっちゃうんだから。まるで、あなたは子供の味方してるみたいに見えちゃうでしょ」
 「実際、奴らの言ってることにも、一理あると思ってるからね、俺は」
 「いつも、あなたはそうなんだから。みんなでよってたかって私を…」
 このパターンになると結構長くなることが多かったようですね。大体あなたは、とお母さんが言えば、あなたも約束を守ってないとケンサンが応酬する。かなり遅くまでやっているときもありました。
 ボク、こんなとき、耳を塞いでしまいたい気持ちです。一人一人はみんな優しいのに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう。
 優しさがだんだん通じなくなっていく。優しさの数がだんだん少なくなっていく家族が、ボクにはとっても悲しいものに思えてなりません。
 お母さんを強い人だなあと思ったのは、お兄ちゃんたちやケンサンを”敵”にまわしても、外で働くことを決して止めようとしなかったことです。
 次にお母さんが手を染めた仕事は、主に女性の下着を訪問販売する仕事。なんだか、仕組みはよくわかんないけど、いくら売ったらいくらの利益が上がるなんていう単純な仕組みじゃないんです。
 決められた一定の量の仕入れをして、その品物を売ってくれる人をまず増やさなくてはならないわけで、品物を売りながら、いわば『子分』を増やさなくてはならないのです。
 そのまた、お母さんの『子分』は、同じように『孫』を増やして稼がせなくてはならないのです。 こういうのを人間社会ではマルチ商法と呼んでいるらしいんですが、お母さんはいっこうに気にしませんでした。
 仕入れは現金で支払います。売れなければ在庫の山ができます。『子分』たちにあまり厳しくハッパをかけちゃうと、すぐにやめちゃう恐れがあるので、強く言えません。見る見るうちにボクの家には女性下着の在庫の山ができました。
 それでも、お母さんはこの仕事をやめませんでした。何年も何年も、ほとんど利益が上がらないまま、この仕事にどっぷりハマッていったお母さんです。
 ボクが見たところ、お母さんがこの仕事をやめなかった理由の一つに、お母さんの『親分』だった人にすっかり憧れちゃっていたからだと思うんです。

 

つづく。

 

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Sep 24, 2005
[ 連続小説 ] 第8回

 

 はらはらどきどき

 

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 動機がどうあれ、そもそもボクに白羽の矢を立てて、家族の一員にしてくれたのはお母さんです。だから、お母さんの話をきちんとしておかなくちゃいけないと思うんです。
 ボクにはとっても優しい人です。食事の世話はもちろん、ボクの大好きなお風呂にもちゃんと入れてくれるし、あまり好きじゃないけど散髪屋さんにもつれていってくれるし、もちろん楽しみな散歩にもつれてってくれるしね。
 最初の頃は、ボクも小さかったから、お母さんの言いなりで…。
 ただ、お母さん、犬を飼うのがはじめてだったみたいで、何から何まで、お友達の家の流儀を丸ごと受け入れてきちゃうんで、少し窮屈な感じがしたんだけど。
 つまり、犬にだって、個性というものがあるっていうことをあまり知らなかったみたい。犬種も違えば、性格も違うんです。同じ種類の犬でも性格は全然違うんですよ。
 どうも、そのあたりがよくわかんなかったみたいで、お母さんの友達の家で飼われているプードルが”犬の教科書”だったんだ。ボクにはこれといって困ったことはなかったんだけど、お母さんの口癖の「犬っていうのはね」という言い方が、あんまり好きになれなかったな。
 お母さんとボクは、一番長い時間一緒にいるわけだから、ボクとしても彼女と仲良くやっていかなくてはなりません。もしかすると、彼女のことを家族の中で一番良く知っているのは、ボクなんじゃないかって思っているくらいなんです。
 よくいえば、意欲的。悪くいえば飽きっぽい人っていうのかなぁ。けっこう、何にでも興味を持っちゃう。それもその時一番仲良くしている友達が夢中になっていることに一緒にハマっちゃう。
 ずっと前、ケンサンが「一人っ子だから、反発心が無さ過ぎる」って独り言をいってたのを思い出します。
 友達に影響されやすい性格っていうんでしょうか。だから、お母さんが今つきあっている友達が、どんな趣味の人か、どんな仕事をしている人かなんていうのが、みんなにすぐわかっちゃう。
 分かり易く言っちゃえば、このボク。どうしても犬がほしかったんでけど、それもその時一番お母さんが仲良くしていた友人の家で犬を飼っていたからなんです。
 ほしいとなると、矢も盾もいられないタチなんでしょうね。ケンサンを半ば無理矢理にペットショップへ誘導して、ボクと対面させたっていうわけ。
 ケンサンやお兄ちゃんたちの話を総合すると、お母さんはずいぶんいろんなことをやってきたみたい。着物の着付け教室、自動車教習所、油絵なんかをやってきたらしいんですけど、子供に手がかからなくなってからは、少し欲が出てきちゃった。
 つまり、趣味と実益っていうんですか、そちらの方面へ走ってしまう傾向が強くなっちゃったんですね。
 で、新聞の折り込み広告の代理店で営業のパート。はっきりいって、これは普通の主婦のアルバイトではなかなか難しい仕事なんだって、ケンサンがぼやいていたことがあります。
 もともとまじめな人だから、仕事となると夢中に頑張っちゃう。広告の営業だから、昼間家にいてできる仕事じゃないわけです。けっこう、午前中から出かけちゃう日が多くなりました、この頃は。
 夕方、慌てふためいて帰ってきてから食事の支度ですから、それは大変です。時にはお兄ちゃんやタクちゃんのほうが早く帰ってきていることもあって、そんなときはもう大騒ぎ。
 「ハラへってんだよ。なにしてんの」
 「あ、ごめんね、急いでしたくするからね」
 このていどのやりとりで済んでいるうちはいいんだけど、時にはお母さんのハラの虫の居所がよくないことだってあるわけで。
 「もう、ハラペコだよ。毎日なにしてんのよぉ」
 「お母さんだって、頑張ってやってるじゃないの。文句ばっかり言ってないで、お腹が空いたら何か食べておけばいいじゃない」
 これで、大喧嘩になっちゃうケース、結構増えちゃいました。この頃、我が家は決してお母さんが、仕事しなくてはやっていけないほど貧しいものではなかったと思います。
 お母さんは、長い間、子育てと家事仕事に縛られていたことから解放されたかったんだと思うんです。
 スーパーやコンビニのレジのパートっていうんじゃなくて、どこかアカデミカルなというんですか、知的な感じのする仕事に就きたかったんでしょうね。
 要するに、「お金じゃないの」というスタイルが見せられる仕事を好んで探したんだと思うんです。
 ボク、よく分からないんですけど、この頃のお母さんの稼ぎは家計を助けるほどのものではなかったと思うんです。その割りに、家族への負担のシワ寄せが増えたことだけは確かだったようです。
 どう頑張ったって、外へ出る仕事を抱えたお母さんが、家の仕事を完ぺきにやりこなすなんていうのは無理なんです。
 はじめのうちは、みんなも好意的にお母さんを見ていたんですけど、それがだんだん当たり前のようになってしまうと、何かで意見が衝突したときは、必ずそのことが出てきます。
 「家のこと、ちゃんとやれよな。メシの支度くらいきちんとやるのは最低限の義務じゃないの」などといった厳しい批判にさらされることも多くなっていきました。

 

つづく。

 

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Sep 20, 2005
[ 連続小説 ] 第7回

 

 行く末は

 

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 「逃げるが勝ちって言うじゃないか。君子危うきに近寄らずともいうし。このまま裁判やって、何年かかるかわかんないし、お金のどのくらいかかるかわかんないしね。コロのことも考えて、とりあえず、コロを放してやれる庭のある家を借りるっていうのはどうかな」
 「……」
 ボクはすごく嬉しくて、ケンサンの意見に大賛成だったんだけど、みんな黙ったままでした。
 みんなの悔しい気持ち、わかったけど、つまらないじゃん、オニババにこれ以上つきあうの。人間って、意地を張る生き物なんだね。
 お母さんはケンサンの意見に反対だったみたいなんです。
 「何もしてないのに、逃げ出すの、イヤ。私、一生、ここで暮らそうと思っていたんだから」
 「……」
 いまさら、そんなこと、言ってる場合じゃないとみんな思っていた。だって、ボクでさえそう思ったんですから。
 「じゃあ、意地をかけて一生戦うのか、下のオバハンと。子供たちもオレも道ずれにしてあんたがここで頑張るって言うんなら、それでもいいよ。でも、オレに戦えって言うんなら、それはゴメンだね。不毛な戦いはしたくない。子供たちの将来のほうが大切だからね」
 「……」
 実はこの頃、お母さんとケンサンの間は相当雲行きがあやしくなっていたんです。もちろん、この水漏れ事件ばかりが原因ではありません。
 しぶしぶ、ボクたちはこの住み慣れたマンションを立ち退くことになったんです。
 簡単に売りにだすといっても、すぐに買い手がつくわけではありません。でも、ケンサンは、「そうと決まれば一日でも早くここから立ち去るほうが安心」と考えていたようです。
 ケンサンなりに懸命に家を探しました。お母さんの強い要望で、マンションからあまり遠くないところに一戸建ての家を探すことになったんです。
 「友達もたくさんいるし、せっかく仕事のネットワークができたばかりだから、なるべくこの地域内に探したいの」
 お母さんの要望がかなって、マンションから車で15分ほどのところにある戸建ての賃貸住宅に移り住むことになったんです。
 引っ越しの日、残暑が厳しい9月の日曜日でした。みんな、あまり言葉を発したりしないんです。寂しい気持ちと悔しい気持ちでいっぱいでした。ボク、すごく悔しい思いだった。最後にオニババに噛みついてやりたいと思ったもの。
 なんだか、負け戦のような気持ちだったんだ。最もつらかったのはケンサンかも知れないね。引っ越しや大掃除があまり好きじゃないケンサンがその日は黙々と荷物を運んだり、運送やさんの若い人たちにジュースを配ったりと珍しく動いていた姿が印象的だった。なんだか、ボクにはそんなケンサンが少し可哀想に思えちゃったのです。

 

つづく。

 

Sep 15, 2005
[ 連続小説 ] 第6回

 

ケンサン、弁護士事務所のトビラを叩く

 

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 お母さんが、階段を下りてオニババの家のドアの前を通り過ぎると、すぐにドアが3分の1ほど開いて、オニババが半分顔をのぞかせて言うんです。
 「うそつきババア。おおウソツキィ」
 はじめ、お母さん、何を言われているかわかんなかったそうです。それから毎日、お母さんが出かける音を聞きつけてはオニババが玄関先で悪態をつくようになったんですって。暗い部屋で、上の家の物音に耳を澄ませているオニババ。ドアが開く音が聞こえると、玄関まで飛んでいって、悪口雑言のオニババ。ボク、恐くなっちゃいます。
 オニババんちの攻撃作戦はエスカレートする一方なんです。
 こんどはお兄ちゃんやタクちゃんもターゲットにされたのです。お兄ちゃんたちがオニババの家の前を通ると、ドアは開けないけど、コンクリートの壁を何か大きな木槌のようなもので叩くんです。ドカーン、ドカーン。 ボクだって、その音、聞きました。ボクを散歩につれていってくれるときに聞きましたから。そういえば、この家、嫌がらせをするとき、決まってドカーン、ドカーンなんです。お兄ちゃんと散歩に出て、公園で遊んでいると、オニババの家の窓がスーッと半分くらい開いて、暗い部屋からオニババ本人がジーッとこちらをにらんでるんです。それは恐ろしい形相で。
タチが悪いのは、水漏れとは関係のない、ボクのことまで近所に言い触らしたりするんです。つまり、無断で犬を飼ってるって。汚いよ、やり方が。ボクはすごく憤慨してるんだ。
 どう考えても、普通じゃない家族が真下に住んでいて、毎日、休むことなく、天井をにらんでるなんて考えるだけで、薄気味悪くなっちゃいますよ。
 3年の沈黙というのもコワイです。その間、ずっと憎み続けていられたのかって思うとね。水漏れと言うよりも、もうボクの家族の存在そのものを恨んじゃっているっていう感じ。
 さすがにケンサンもこれには相当参ったようでした。そして3年前と同じように管理組合の理事さんと管理会社の若い社員の人に立ち会ってもらって話し合いをすることにしたんです。
 話しはやっぱり平行線。例のあの写真と間取り図を持ち出して、「あんたのところがやったと認めればいいんだ」。一点張りのオニババ夫婦は、3年前と言うことも同じ。
 ケンサンは水漏れのことよりも、毎日の嫌がらせをやめなさいといったんだ。続けると脅迫罪になるともいったんだ。すぐにやめないと訴えるともいったんだ。
 オニババに比べるとすこし気が弱そうなオニジジが、オニババに脇腹をつつかれながらいうには「そ、それがうちの、り、流儀だ」。
 話し合いはまたも物別れに終わりました。ケンサンは仕方なく、弁護士事務所のトビラを叩いたんです。今のように、ストーカー法のようなものがあれば、警察に相談するという方法もあったのでしょうけど、その頃は民事で戦うしかないとケンサンは考えたらしいんです。
 犬のくせにずいぶん人間社会のことを知ってるみたいで、生意気なヤツと思うかも知れませんけど、犬は人間の7倍ものスピードで年を取るんですから、結構早く大人になっちゃうんです。
 ケンサンはすごく悩んでました。そして集合住宅の恐ろしさを痛感していたんです。
 「裁判になりますとね、どちらも相当な費用と時間がかかりますから、あまりお勧めできませんね。一度警察に相談してみてはどうでしょう」。弁護士は、少しウンザリといった感じだったようです。こんな話では商売にならないと思ったのでしょうか。
 ケンサンもできれば裁判沙汰なんかにしたくないと考えていました。
 ケンサンが心配したのは、これ以上嫌がらせが続くと、体の大きな子供たちが逆襲に出てしまい、オニババ夫婦に危害を加えてしまうことにもなりかねないということでした。加害者になってしまうことを極端に恐れていたんです。
 そして、ケンサンは考えに考え挙げ句、あるひとつの決断を家族全員に告げたのでした。

 

つづく。

 

Sep 12, 2005
[ 連続小説 ] 第5回

 

オニババに噛みついてやりたい

 

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  お母さんが夕方帰ってくると、下のうちのオバサンがオニのような形相で駆け上がってきて、和室の押入が水浸しになっているというんです。ボク、本当にオニってこんな顔してんだと思いました。
 聞けば、朝からひどい水漏れだったというんですけど、お母さんはその日、洗濯もしないで早くからサッカー観戦に出かけてしまっているんです。だから、洗濯機の水をあふれさせたなんていうことはありません。オニババはお母さんの説明など聞こうともしません。
 ボク、この時ほど人間の言葉が喋れたらと思ったことはありませんよ。だって、ボクが留守番してたんですから。ボクのトイレがある洗濯機置場の近くでは、その日なにも起こらなかったんですから。
 「あんたが水を漏らしたのに、ウソついて。みんなに言いふらしてやる」なんていうんです。いい大人とは思えない言い草なんです。
 水漏れでベコベコになった押入の壁を写真にとってふれ歩いているんです。そんなもの見せても、お母さんが水漏れさせた証拠にはならないというのに。
 水漏れ被害があったことは事実なんですが、犯人が誰だかわからないんです。お母さんでないことだけは確かなんですけど、オニババはどうしても真上に住んでいるボクんちを犯人にデッチ上げたかったらしいんだ。
 半分ノイローゼになってしまったお母さんは、ケンサンに助けを求めます。ケンサンは当事者同士で話し合ってもラチが開くような相手ではないと考えたのでしょう。管理組合の理事さんに立ち会ってもらって、話し合いをすることを提案したんです。
 話し合いに出てきたオニババ夫妻は、例の写真と間取り図を見せて「犯人はあんた以外かんがえられない」の一点張り。ケンサンは「やっていないものをやっているとは言えない」と押し返す。結局、オニババは全額弁償させたいというんですって。
 「やっていないのですから全額弁償と言うわけには行きませんが、これではラチがあきませんから、お見舞い金として修復工事費の半額、私のほうで持ちます。ですから、もうこれで終わりにしてください」
 立ち会っていた管理組合の理事さんたちも、大きくうなづいて、それがいいのではといったんです。話し合いは、それで終わったんですけど、その後、オニババから工事費の半額を要求してくることはありませんでした。
 ボクは犬だからオニババに噛みついてやりたいと思いました。
 水漏れ事件はこれで終わったと誰もが思っていたんですけど、世の中って、ホントにすごいことが起きるんですね。ボクは腰が抜けるほどびっくりしてしまったんです。
 あの集会室での話し合いからなんと3年も過ぎたある日から、第2の事件が起きたんです。

 

つづく。

Sep 08, 2005
[ 連続小説 ] 第4回

 

不気味なご近所さん

 

1126147461376645.jpg ボクがここんちに来て4年くらい過ぎた頃だったと思うんですけど、とんでもない事件が起きちゃったんです。人間の恐さを感じました、この時ばかりは。
 マンションの3階がボクたちの家だっていうこと、前に話しましたよね。まず、これが問題だったんだ。4階建てのマンションが3つの棟からできている100世帯くらいの規模のマンションなんです。
 これを買うとき、この事件が起きる5年くらい前らしいのですが、ケンサンとお母さんの間で結構激しい意見の違いがあったんですって。
 ケンサンの持論は、マンションに住むなら1階という考えなんだそうです。なぜなら、何が起きても加害者にはならないで済むからというのが根拠なんです。
 1階の住民であれば、被害者になることはあっても、加害者にはなりにくいと考えているんです。被害者ならば、自分が我慢すればことは大きくならないで済むと言うのです。ケンサンらしいとボクは思いました。
 お母さんの気持ちもわからないではないんです。ここに引っ越してくる前に住んでいたマンションは1階だったそうです。
 2階の音がうるさいこと、地面からの湿気が多いこと、日当たりが上の階に比べて悪いこと、その上景色が見下ろせないこと。ここを購入するとき、意見は真向から対立したんだそうですが、結局、「家にいる時間が一番長いのは私」の一言で、ケンサンが折れたみたい。
 集合住宅には、色んな人が暮らします。だから自分の家族の基準が通用するとは限りません。ケンサンはお兄ちゃんやまだ小さかった弟のタクちゃんに「静に」といつも言ってなくちゃならない生活は良くないんじゃないかって、お母さんをずいぶん説得したらしいんですけど、ダメだったみたいです。ボクを買うときも、この家を買うときも、ケンサンは結局、お母さんの要求に負けちゃっているんです。
 不幸なことに、ケンサンの心配は見事なまでに的中してしまったのです。2階に住んでいるのは、ケンサン夫婦より一つ二つ上くらいの夫婦に、タクちゃんより3つ年下の女の子の3人暮らし。
 ボクの家で少し音がうるさいと、下から何かで突き上げるんです。ドカーン、ドカーン。これって、想像するだけで結構恐くありません?
 ちょっとヘンだから気をつけようなんていうのですけど、毎日の生活ですから、また、忘れちゃうんです。すると、ドカーン、ドカーン、無気味な家族です。
 事件が起きたのは、お母さんがタクちゃんのサッカーの試合を見に行った夏休み中のある日のことでした。

 

つづく。

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Sep 06, 2005
[ 連続小説 ] 第3回

 

  ボク、もう一度、あの笑顔、見たい

 

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 ボクとお兄ちゃんとの心の交流って、お兄ちゃんが辛いときに深まって行くような気がするんです。
 それはお兄ちゃんが、心の奥から絞るようにボクに語りかけてくれるからなんだ。ボクは懸命にそれを聞いて、それで脳味噌からパワーを出すんだ。そうすると、お兄ちゃんの顔が少しづつ優しくなっていく、ボクにはちゃんと見えるし、それでボクまでなんだか嬉しい気分になっちゃうんだ。
 お兄ちゃんは、すごく野球に打ち込んでいた。だから、高校に入ってからももちろん、硬式野球部。毎日、帰ってくるのが遅いの。ボクなんかすごく心配しちゃったけど、それでもお兄ちゃんの顔にはまだ元気があったなあ、一年のころは。
 ドロドロでクタクタ、部屋に入ってバッタリ。お母さんに無理矢理起こされてお風呂に入って、夕ご飯を一人で食べるのが日課のお兄ちゃん。
 時間的にはかなり遅くなってしまうよ、十時くらいかな。なのに外に出てバットの素振り。3階のボクの部屋から、じゃなくてお兄ちゃんの部屋からでも、空を切る音が聞こえたんだから、すごい力だよね。
 ケンサンが早く帰っているときは決まってキャッチボールが始まるんの。夜の十時過ぎにだよ、たぶん近所迷惑だったと思うな。マンション内の小さな公園、一本しかない外灯の明かりだけを頼りにパーン、パーンと響きわたるミットの音。ボクなんか内心ヒヤヒヤしてたんだ、苦情が来ないかってね。
 そんな練習のたまものって言うのかな、一年生の夏の大会で、お兄ちゃんは何とエースナンバーの1を貰ったんだよ。
 ボクあの時のこと忘れない。たまたま早く帰ってきていたケンサンにお兄ちゃんは少しテレ臭そうにいったんだ。
 「今日さぁ、こんなのもらっちゃったぁ」
お兄ちゃんが部屋から持ってきたユニフォームをケンサンに見せたんです。引っ繰り返すと、白い四角い布に縫い付けられた背番号「1」が輝いていた。
 「オォー、一番かぁ、すげえな」
 ボクね、ケンサンのこんな嬉しそうな顔、始めてみた、こんとき。
 お兄ちゃんも、久しぶりに笑ってた。監督に呼ばれて背番号を渡されたときの様子を、珍しく興奮した顔で話してた。あんなに輝いたお兄ちゃんの笑顔、その後はずっとみることはなかったね。
 お兄ちゃんの試合に、ケンサンはほとんど出かけています。たとえ、それが日曜日や祭日じゃなくても、ケンサンは不思議とグランドへ姿を現すようです。
 お兄ちゃんがリトルリーグに入ったときからずっとそれは続いていて、とくにエースだった中学時代なんかはほぼパーフェクトに試合を見ています。
 何でボクがそんなことまで知っているかというと、ケンサンとお兄ちゃんの話を総合すると、どうしてもそうなっちゃうんですよ。ケンサンが早く帰ってきたときで、お兄ちゃんの機嫌がいいときという条件付きなんだけど、二人の話がすごく弾んだりすることが希にだけどあるんです。
 そんなときの話は決まって野球。リトルリーグ時代の話から始まって、中学時代のゲームの話。ピッチングからバッティング。時には二人とも立ち上がってフォームについて熱心に話し合ったりもするんです。
 ボクはこんなとき決まってすぐそばでうつらうつらしてるんです。だって、とっても気持ちのいい空気なんですから。
 そんなお兄ちゃんの姿も考えてみるとわずかな時間だったような気がします。ものすごく落ち込んで帰ってくる日々が続きました。試合で投げても成績があまり良くなかったみたいで、監督にはずいぶんとつらくあたられたようなんです。
 それでも、夜はランニングに出かけ、帰ってくると素振りを黙々とするお兄ちゃんの姿は、ボクにとってもなんだかすごくつらくて、重い時間に思えたんです。
 もちろん、ボクだけじゃありません。お母さんだって、タクちゃんにだって、ケンサンにだって同じことがいえたんじゃないでしょうか。
 誰も、お兄ちゃんに超えすらかけることができない重くてくらい雰囲気でした。何をいっても、お兄ちゃんから返ってくるのは、「…ウン」ていどの反応です。
 ボクはせめてお兄ちゃんのそばに居る。お兄ちゃんの手がそっとボクの頭を撫でることがあるんです。ボクは待ってましたとばかりひび割れてガサガサになった手を懸命に舐めるんだ。ボクとお兄ちゃんの間には、この小さな瞬間にお互いを癒す電波が伝わるんだ。
 ときにボクとお兄ちゃんは、しばらくまた例の『脳味噌のおしゃべり』を始めたりするんだけど、それすらもできないくらい落ち込んでしまっているときのお兄ちゃんは痛ましくて見ていられないんです。
 ボク、ケンサンってすごいって思うことがあるんです。深夜になると、決まって、お兄ちゃんの部屋を訪問するんだ。
 「俺サ、君が家に返ってきたときのドアの開け方とか、靴の脱ぎ方とか、部屋に入るときの音とか、部屋から聞こえてくるわずかな音とかで、だいたい君の気持ちの調子がわかったりするんだ」
 「……」
 「全身で、君の気持ちの動きを聞き取ろうと集中しちゃうもんだから、見ていたテレビの内容、まるで覚えてない」
 「……」
 「溜まってるもんがあるんなら、吐き出しちゃうと楽になるよ。俺が聞いてどうなるもんじゃないことはわかってる。喋ってしまうと中がカラになるから絶対楽になるんだ」
 お兄ちゃんの口は重いんです。「何でもないよ」と小さくいって、ケンサンの申し出を拒んじゃう。がんばっちゃってるお兄ちゃんの表情がボクにはつらい。ケンサンは粘り強いんだ。
 もう、どっかり座っちゃって、今夜は朝まで動かないといった風情なんです。話も、いきなり野球部とか監督とか学校なんていうところには触れない。こんなところが、なかなかしたたかなんだ。
 バカな話、滑稽な話、下らない話、おしゃれの話、少しエッチな話。すごいバリエーションでお兄ちゃんの肩の力を抜こうとするケンサン。なかなかの名調子なんです。もっとも、ケンサンの仕事は多くの人の前でお話をするということもあるんだそうだから、結構上手なのは当然なのかも。
 1時間でも2時間でもそんな話をしているうちに、お兄ちゃんから「今日サア、監督に……」と切り出すことになるんです。話だすお兄ちゃんの声が、時折詰まって震え、目が真赤になって、大粒の涙が溢れ、一気に堰を切って流れ出すんです。
 ひとしきりお兄ちゃんは思いの丈を話します。話している間にケンサンが口を挟むことは滅多にありません。ただ「ウン、ウン」とうなづくばかりです。
 ケンサンが口を開くときは、「その時君はどうしたの?」とか「なんて言ったの?」とかです。質問をされるとお兄ちゃんはさらに興奮したように話を続けます。
 ボクが思うには、ケンサンはお兄ちゃんの中にあるストレスを洗いざらい出してしまうために、質問をし続けているんですね。
 お兄ちゃんの返答に対して、「ウーン、こういうてもあったよな」とか「余裕を見せて、こういってやるとよかったのかもな」なんて優しくアドバイスを贈ったりする頃になると、しゃくりあげるように泣いていたお兄ちゃんもすっかり、静かになって落ち着いてくるんだ。
 ボクは今日の話し合いがもうすぐ終わることがわかるんです。二人の間にはなんだかすごく穏やかでさわやかな、心が和む空気が流れてて、どちらともなく笑顔になっているんです。
 「じゃあ、寝るか」
 「うん」
 さっきとは違う力のある返事です。もう、夜中の3時を回っています。なんだか、いま世の中で起きているのは、ボクとお兄ちゃんとケンサンだけみたいな連帯感を感じているのはボクだけなのかしら。
 トイレから出てきたお兄ちゃんが、擦れ違い様にいいました。
 「ありがとう。なんか胸の中がスッキリしたよ」
 「……」
 ニコッと笑ってうなづくだけのケンサンでした。
 こんな深夜の討論会は、その後何回も行なわれたんだけど、ついに来るべきときが来てしまったんだ。
 2年生の夏前、お兄ちゃんはあんなに好きだった野球をやめた。誰も、理由を聞いたりしなかったし、思い止まるように説得もしなかったんだ。とくにケンサンは「そうか、仕方ないんじゃないか」とつぶやいただけだった。
 ボクがびっくりしたのは、ケンサンが一緒にゴルフをやろうとお兄ちゃんを誘ったことなんだ。ふ抜けみたいになったお兄ちゃんにゴルフなんてと思っていたんだけど、それはケンサンらしい思い遣りだったんですね。
 お兄ちゃんも偉かった。野球部をやめたことについて多くを語ったりしなかったんだ。つらかったこと、悔しかったこと、頭に来ること、いっぱいあったはずなんだけど、お兄ちゃんは誰にも、何も語らなかった。少なくても家族には……。というより、ケンサンには語らなかったんだ。
 それは、もうこれ以上ケンサンに心配かけたくないと言う気持ちだったのかも知れないし、ケンサンにだって今の自分の気持ちはわかってもらえないと思ったからなのかも知れないね。
 とにかく、お兄ちゃんは16歳の夏、小学3年生から13年間愛し続けた野球、静にボールを置いたんだ。ボク、もう一度、背番号1をもらってきたときのあの笑顔、見たい。

つづく。

 

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Sep 04, 2005
[ 連続小説 ] 第2回

 

 ケンサンとボクはバチッと目が合った

 

ゴロン ボクがケンサンの所へ買われてきたとき、結構難しい時期だったみたいなんです。ボクは生まれてまだ2週間ほどだから、なんにも分からないと思っているんでしょうけど、犬って不思議な生きもので、大きくなるにつれて小さなときに経験したことをはっきり認識することができる動物なんです。
 だから、その時事情が分からなくても、大人になって十分理解することができちゃうんです。すごいでしょ。


 まず、何が難しいかっていうと、ケンサンの家族はマンション住まいだったんです。ご存知の通り、マンションでは動物を買ってはいけないことになっていますよね。今でこそ、ペット可マンションなんて言うものが続々登場しているようですけど、その頃はとても無理っていう時代ですよ。
 ケンサンは犬を飼うことに反対でした。
「マンションで犬を飼うのはいけないんだろ。ルール違反をするのはよくないと思う」というケンサンに対して、お母さんは大胆です。
「だって、大高さんちだって、水野さんちだって飼ってるんだから大丈夫よ」と”だって”の嵐です。何が「だって」なのかボクでも理解に苦しみます。こんな論争がしばらく続いたみたいです。

 

 その頃、お兄ちゃんは中学2年生で、野球部員でした。少年野球の時代から豪速球のピッチャーで慣らしたお兄ちゃんでしたから、近所ではちょっとした有名人。ところが、中学に入って、少しテングになっていた鼻をへし折られ、野球部員からのイジメを受けていたんです。
 ケンサンはそのことが心配でたまりませんでした。何とか、お兄ちゃんの元気と自信を取り戻さなくてはなりません。必死でした。お兄ちゃんのためなら命だって投げ出せるほど、お兄ちゃんが好きでした。

 こんなケンサンのウイークポイントにつけ込んだのがお母さんです。「犬を飼えばあの子の気持ちも少しは安らぐかも知れないし、見るだけでいいから」などと巧みに顔見知りになったペットショップへケンサンを誘ったんです。


 ケンサンとボクがはじめて出会ったのがこの時でした。ボクはもう一匹の兄弟と小さなスチールの檻の中にいました。ケンサンとボクはバチッと目が合ったのです。衝撃的でした。「この人、ボクを買う」って思いましたもん。
「こいつだって、思ったね」、ケンサンものちにボクの話をするたびに、その時の出会いの瞬間を語っています。「運命的な感じ」なんていう少しキザな話に膨らんでしまっていますけど、ボクもケンサンとの出会いには、ボクの人生の進路が決まったような感じを持ちましたから。


 やおら、ケンサンはペットショップの店主に、「いくら?」って聞きました。とても不機嫌そうです。「8万円です」
 黙ったまま、ケンサンは財布の中にあるったけのお金を店主に払いました。ちょうど8万円です。店主は顔色をうかがうように「シーズーは人気犬種ですからねえ」などといいますが、ケンサンの表情はいよいよ険しくなりました。
「俺、命を金で買うのが嫌いなんだよ」
ぶっきらぼうにいうとケンサンはボクをタオルで包んでいち早く外に出たんです。まるで悪いことをしたときのような後ろめたさに襲われていたに違いありません。


 たぶん、ケンサンはお母さんにも腹を立てていたんだと思います。
 ルール違反をさせられてしまったこと、お兄ちゃんという最愛の息子の悲しみを自分の欲望を満たす道具に使われたと思ったこと、そして、ボクの可愛らしさに負けてしまったこと、これは少し言い過ぎかも知れないけど、ケンサンは言い知れない腹立たしさでいっぱいだったに違いないんだ。


 というわけで、ボクはこの家の一員になったというわけなんだけど、所詮、ボクは日陰の身です。居てはいけないマンションにいるわけですから、散歩なんかもはじめのうちは人目を忍んで暗くなってから隣りの小学校の校庭まで行ったもんです。


 でも、ボクは家族のみんなから大事にされたし、すごく可愛がって貰ったことを考えれば、幸せものだといえるんじゃないでしょうか。
 中でも、ボクとお兄ちゃんとの絆は特別強いものだと思います。結果的には、お母さんの目論見通りになったという感じなんでしょうね。お兄ちゃんは、野球部でイジメにあったことや苦しいこと、つらいこと、そして悔しいことの全てをボクに話してくれるんです。
 そんなあって笑うかも知れないけど、ここだけの話、実はお兄ちゃんは、犬語が喋れるんです。もちろん、ワンとかキャンとかいう音の出る言葉ではありません。


 ボクの頭にお兄ちゃんの頭をくっつけてしばらくジッとしていると、お兄ちゃんの声が聞こえてくるんです。ほとんどの場合、ボクが寝ているときに話しかけてくるんです。ボクも真剣に話を聞き、脳味噌を搾り出すようにしてお兄ちゃんの悲しみや苦しみをやっつけるパワーを出すんです。
 長いときには一時間以上も、そうやっているときもありました。そのうち、お兄ちゃんも気持ちがよくなって眠ってしまうことだってありました。
 ボクはお兄ちゃんの苦しみをやっつけたとき、すごくうれしい気持ちになれるんです。ボクはお兄ちゃんのために役立っているという充実感に満たされるんです。


 お兄ちゃんもボクには特別優しくしてくれました。時間が許す限り散歩へつれていってくれるし、気持ちのいい原っぱや思いっきり走れる広いグランドへもよく連れていってくれました。ボールを投げて遊んだり、ビデオカメラでボクの颯爽とした姿を撮ってくれたりもしたんです。
 ボク、そんなお兄ちゃん、だぁい好き。お兄ちゃんとボクだけの長いつきあいはこうして始まったのです。


 ところで、犬は必ず順位をつけるっていうじゃないですか。それって半分当たってるけど、半分間違ってるな、ボクに言わせれば。
 人間って、おかしな生きものだと思うんだ。なんでもこうだああだと決めつけてしまいたがるんだもん。犬になって、そのあとまた人間なった人なんていないじゃん。なのに、「犬は必ず、順位をつけるもんだ」なんていうんだもの。


 確かに、犬だけの世界の中では、順位を決めて生活するっていう習慣はあるよね。そのほうが、いさかいが少なく済むからね。犬って、もしかしたら、人間なんかよりずっと賢い生き物なのかもしれないよ。
 だからって、人間と一緒に暮らすようになってからは、無理矢理に順位をつけることもないっていうことが分かったんだ。家族とは誰とでも仲良くやっていけばいいって、たいていの犬たちは考えるようになったんだよ。 家族に牙をむく犬っていないでしょ、いるとすればそれはバカ犬だね、家族からスポイルされる原因を自分から作っちゃってるんだから。


 というわけで、ボクとお兄ちゃんはまったく”五分の兄弟分”っていうところかな。なんでも気持ちが分かり合えるっていう感じだよね。
 そんなお兄ちゃんが、高校に入って、また野球部にはいったんだ。すごいんだよぉ、一年生の夏にはエースナンバーの背番号1をつけたんだから。

 

つづく。

 

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Sep 03, 2005
[ 連続小説 ] 第1回

 

 洋犬なのになんでボクはコロなのよ

 

ブログランキング ボクはれっきとした洋犬で、ちゃんと血統書まであるシーズーなんですけど、なぜか名前はコロ。


 以前、散歩で知り合ったキャバリアの男の子がいうには、「ボクなんかタロだぜ、日本人って名前のつけ方にこだわりって言うものが無さ過ぎると思わない?」ってすごく不満な顔していたの思い出しちゃいました。
 でも、ボクの名前には、それなりの思い入れがあるらしいんです。ボクはいつもケンサンと呼んでいますが、

 

 

一応、ご主人なんです。ボクがこの家に買われてきたとき、ケンサンが「名前はコロ」と断言したんです。それはもう、家族中からブーイングの嵐です。


 「シーズーなのに、なんでコロなんだよ」

中学生だったお兄ちゃんが、いぶかしそうに聞きました。三歳下の弟のタクちゃんもきっと同じ思いだったと思います。もちろん、お母さんは不満が顔に現われています。おもむろに、お父さんが言い放ちました。
「昔から、俺のうちの犬の名はコロと決まっている、だからコロ」


 ケンサンのお父さん、つまりお兄ちゃんたちのおじいさんの時代から、犬はコロ、猫はミーコと決まっていたんだそうです。それから、ケンサンは、子供の頃のコロの話をみんなに聞かせ始めたのです。


 初代のコロは、秋田犬系のミックスだったそうです。ケンサンがまだ小さかったこともあって、その初代コロはとても大きな犬という印象が残っているといいます。「少し茶色がかっているけど、印象は白だったね。とっても大きな犬で優しい子だったな。首ったまにしがみついても嫌な顔一つしない。なんだか頼りになる奴だった。俺にとっては、弟というより、優しい兄貴っていう感じかなぁ」。ケンサンは遠い眼差しで、はるかな初代コロを熱く語り続けています。
「親父が駅に降りたって、家に向かって歩き出すと、コロにはそれが分かったんだ。垣根に沿って張られた木戸までの太い針金に繋がれたコロの鎖が、シャーという金属音を響かせて玄関脇の木戸まで移動するんだ。すると、数分後に親父の姿現われる。お袋なんかは偶然だって取り合わなかったけど、俺は信じたね、コロには特殊な能力があるんだって」


 ボクはこの話し、今までにもう何度か聞いているんだけど、ケンサンはいつも初めて話をするように熱っぽく語るんだ。


 「親父はすぐに玄関に入ってこないで、コロの所へ直行さ。思い切り尻尾を振って出迎えるコロとのスキンシップがしばらく続くわけだけど、親父の言葉はいつも『コロか、コロか、そうかコロか』ばかり」
 ケンサンの話によれば、その頃の家って、主人が帰ってくると、家族が全員うち揃って玄関まで迎えに出るのが当たり前だったんだって。すごいね。まるで時代劇でも見るような感じだよね。
 おじいさんの「コロか、コロか」の声が家族にも聞こえるんだそうだけど、ケンサンのお姉さんたちは『コロって自分でつけたくせに』って突っ込んだりしてたんだって。もちろん、小さな声でね。
 しばらくすると、何もなかったかのような渋い顔で玄関に入ってくるおじいさんを、家族全員が声を揃えて「おかえんなさい」っていうんだそうなんだ。信じられる?


 ケンサンはそのくだりになると、いつになく力が入っちゃっているように見えちゃうのは、ボクだけなんだろうか。ケンサンが仕事から帰ってきても、誰も玄関まで迎えに出るなんていうことないもんなぁ。迎えに出るのはボクだけだよ、しかもボクが寝ちゃったりした深夜だと誰も迎えになんかでないもん。


 そんな犬好きのおじいさんが、秋田犬ミックスにコロと名付けたのには、それなりの理由があったんだそうなんだ。
「たぶん、NHKだと思うんだけど、連続ラジオドラマで『コロの物語』というのがあって、親父はこれが大好きだった。たぶん夕方の7時頃から30分くらいの番組なんだけど、着物に着替えた親父が懐手をしてじっと聞き入っていたんだ」
 小柳徹という子役がコロの声をやるんだけど、小さな捨て犬のコロがひたむきに生き抜いて行くお話で、この子役が素晴らしい演技力を見せるんだそうです。


 ここまで来ると、決まってケンサンは涙声になっちゃって、それ以上話を進めるのは、困難な感じっていうのかなぁ。子供の頃のいろんなことが、込み上げてきちゃうんだろうな。ボク、そんなケンサン好きなんですけど。 

 

で、犬はコロ。

 

 ケンサンもこのコロが大好きだったらしくて、この秋田ミックスが死んだときの話になると、ケンサンの目にはいっぱいの涙が溢れてくるんだ。
「小学校の3年生くらいだったかなぁ。夏休みで千葉の親戚の家に遊びに行っててね、兄貴と。帰ってきたら死んでたんだ。体が固くなってて、明らかに、それはもう絶対に動かないって言う感じだった。一日過ぎていたからかも知れないけど、歯茎がめくれて鋭い牙がむきだしになっていた。今でも鮮明にその姿を覚えているな」


 もう我慢できないとケンサンはティッシュで目頭を拭くんだかならずね。


 「庭の片隅に兄貴と二人で大きな穴を泣きながら掘って、コロを埋めてやることにしたんだ。汗じゃなくて、涙が次から次へと出てきて、土がにじんでみえたこともちゃんと覚えてるよ」
 声が震えてるし、途切れ途切れになっちゃうし、ここまで来るとケンサンはもうボロボロっていう感じだよね。初代コロの話しは、ここでは終わらないんだ。
「コロを埋めた土の中に、お袋が水蜜の種を一緒に埋めたんだ。そしたら、その桃が目を出して、成長したんだ。中学へ入った頃には立派な桃の木に育ってね。真っ白い花は俺にコロを思い出させてくれたんだ」 
 なんだか、良くできたおとぎ話みたいだけど、ケンサンの真顔を見ていると、本当にあったことなんだなあって思っちゃいます。初代コロが死んだとき、ケンサンのお父さんはどんな悲しみ方をしたんだろうなんて少し興味が沸いちゃうんだけど、ケンサンはそのことに触れません。ボクが直接聞けるわけじゃないから、真相は闇の中なんです。


 で、ボクが二代目かと思ったら、ボクは三代目なんだそうです。ついでに二代目のコロの話へつながっていくのも、いつものパターン。


「今度はスピッツだった。ちいちゃくてほんとにコロコロしててかわいかった。初代コロが死んで3年後くらいに貰われてきた子だったんだ。親父は懐の中に抱いていたなぁ。まるで孫をかわいがるよっだったよ」


 犬を猫っ可愛がりするのはよくありませんなんてバカなことをいう獣医さんがいるようですけど、犬ってね、優しくされればされるほど、その人が好きで好きで堪らなくなっていくもんなんですよ。そういう意味で、ボクは幸せな奴ですけど、犬のボクが言うんですから、間違いありません。


 その二代目もケンサンが17歳の時に死んだそうです。なぜ、17歳とはっきり言えるのかといえば、ケンサンのお父さんが亡くなった年でもあるからなんですって。
「高校二年の11月、期末試験の最中に親父は逝ったんだ。胃癌の手術からちょうど5年目だね。二代目コロは不思議なことに一週間後ぽっくり死んだ。前の日まで元気だったのに。お袋が『おとさんが寂しくて呼んだんじゃないのかしら』っていった言葉で、奇妙に納得したんだけどね」
 で、ケンサン、ここでは泣かない。父親を失ったという喪失感のほうが、コロを失ったことよりも大きかったのかも知れないね。それとも、おじいさんの死とコロの死は気持ちの中で一つのものとしてまとめられていたのかもね。


 なんて偉そうに解説しちゃったけど、犬であるボク的にいうと、そういう死に方って、かわいがられた犬としては最高の終わり方っていう感じなんだよね。
 というわけで、ボクは洋犬でありながら三代目コロを襲名したというわけなのであります。

 

つづく。

 

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