洋犬なのになんでボクはコロなのよ
ボクはれっきとした洋犬で、ちゃんと血統書まであるシーズーなんですけど、なぜか名前はコロ。
以前、散歩で知り合ったキャバリアの男の子がいうには、「ボクなんかタロだぜ、日本人って名前のつけ方にこだわりって言うものが無さ過ぎると思わない?」ってすごく不満な顔していたの思い出しちゃいました。
でも、ボクの名前には、それなりの思い入れがあるらしいんです。ボクはいつもケンサンと呼んでいますが、
一応、ご主人なんです。ボクがこの家に買われてきたとき、ケンサンが「名前はコロ」と断言したんです。それはもう、家族中からブーイングの嵐です。
「シーズーなのに、なんでコロなんだよ」
中学生だったお兄ちゃんが、いぶかしそうに聞きました。三歳下の弟のタクちゃんもきっと同じ思いだったと思います。もちろん、お母さんは不満が顔に現われています。おもむろに、お父さんが言い放ちました。
「昔から、俺のうちの犬の名はコロと決まっている、だからコロ」
ケンサンのお父さん、つまりお兄ちゃんたちのおじいさんの時代から、犬はコロ、猫はミーコと決まっていたんだそうです。それから、ケンサンは、子供の頃のコロの話をみんなに聞かせ始めたのです。
初代のコロは、秋田犬系のミックスだったそうです。ケンサンがまだ小さかったこともあって、その初代コロはとても大きな犬という印象が残っているといいます。「少し茶色がかっているけど、印象は白だったね。とっても大きな犬で優しい子だったな。首ったまにしがみついても嫌な顔一つしない。なんだか頼りになる奴だった。俺にとっては、弟というより、優しい兄貴っていう感じかなぁ」。ケンサンは遠い眼差しで、はるかな初代コロを熱く語り続けています。
「親父が駅に降りたって、家に向かって歩き出すと、コロにはそれが分かったんだ。垣根に沿って張られた木戸までの太い針金に繋がれたコロの鎖が、シャーという金属音を響かせて玄関脇の木戸まで移動するんだ。すると、数分後に親父の姿現われる。お袋なんかは偶然だって取り合わなかったけど、俺は信じたね、コロには特殊な能力があるんだって」
ボクはこの話し、今までにもう何度か聞いているんだけど、ケンサンはいつも初めて話をするように熱っぽく語るんだ。
「親父はすぐに玄関に入ってこないで、コロの所へ直行さ。思い切り尻尾を振って出迎えるコロとのスキンシップがしばらく続くわけだけど、親父の言葉はいつも『コロか、コロか、そうかコロか』ばかり」
ケンサンの話によれば、その頃の家って、主人が帰ってくると、家族が全員うち揃って玄関まで迎えに出るのが当たり前だったんだって。すごいね。まるで時代劇でも見るような感じだよね。
おじいさんの「コロか、コロか」の声が家族にも聞こえるんだそうだけど、ケンサンのお姉さんたちは『コロって自分でつけたくせに』って突っ込んだりしてたんだって。もちろん、小さな声でね。
しばらくすると、何もなかったかのような渋い顔で玄関に入ってくるおじいさんを、家族全員が声を揃えて「おかえんなさい」っていうんだそうなんだ。信じられる?
ケンサンはそのくだりになると、いつになく力が入っちゃっているように見えちゃうのは、ボクだけなんだろうか。ケンサンが仕事から帰ってきても、誰も玄関まで迎えに出るなんていうことないもんなぁ。迎えに出るのはボクだけだよ、しかもボクが寝ちゃったりした深夜だと誰も迎えになんかでないもん。
そんな犬好きのおじいさんが、秋田犬ミックスにコロと名付けたのには、それなりの理由があったんだそうなんだ。
「たぶん、NHKだと思うんだけど、連続ラジオドラマで『コロの物語』というのがあって、親父はこれが大好きだった。たぶん夕方の7時頃から30分くらいの番組なんだけど、着物に着替えた親父が懐手をしてじっと聞き入っていたんだ」
小柳徹という子役がコロの声をやるんだけど、小さな捨て犬のコロがひたむきに生き抜いて行くお話で、この子役が素晴らしい演技力を見せるんだそうです。
ここまで来ると、決まってケンサンは涙声になっちゃって、それ以上話を進めるのは、困難な感じっていうのかなぁ。子供の頃のいろんなことが、込み上げてきちゃうんだろうな。ボク、そんなケンサン好きなんですけど。
で、犬はコロ。
ケンサンもこのコロが大好きだったらしくて、この秋田ミックスが死んだときの話になると、ケンサンの目にはいっぱいの涙が溢れてくるんだ。
「小学校の3年生くらいだったかなぁ。夏休みで千葉の親戚の家に遊びに行っててね、兄貴と。帰ってきたら死んでたんだ。体が固くなってて、明らかに、それはもう絶対に動かないって言う感じだった。一日過ぎていたからかも知れないけど、歯茎がめくれて鋭い牙がむきだしになっていた。今でも鮮明にその姿を覚えているな」
もう我慢できないとケンサンはティッシュで目頭を拭くんだかならずね。
「庭の片隅に兄貴と二人で大きな穴を泣きながら掘って、コロを埋めてやることにしたんだ。汗じゃなくて、涙が次から次へと出てきて、土がにじんでみえたこともちゃんと覚えてるよ」
声が震えてるし、途切れ途切れになっちゃうし、ここまで来るとケンサンはもうボロボロっていう感じだよね。初代コロの話しは、ここでは終わらないんだ。
「コロを埋めた土の中に、お袋が水蜜の種を一緒に埋めたんだ。そしたら、その桃が目を出して、成長したんだ。中学へ入った頃には立派な桃の木に育ってね。真っ白い花は俺にコロを思い出させてくれたんだ」
なんだか、良くできたおとぎ話みたいだけど、ケンサンの真顔を見ていると、本当にあったことなんだなあって思っちゃいます。初代コロが死んだとき、ケンサンのお父さんはどんな悲しみ方をしたんだろうなんて少し興味が沸いちゃうんだけど、ケンサンはそのことに触れません。ボクが直接聞けるわけじゃないから、真相は闇の中なんです。
で、ボクが二代目かと思ったら、ボクは三代目なんだそうです。ついでに二代目のコロの話へつながっていくのも、いつものパターン。
「今度はスピッツだった。ちいちゃくてほんとにコロコロしててかわいかった。初代コロが死んで3年後くらいに貰われてきた子だったんだ。親父は懐の中に抱いていたなぁ。まるで孫をかわいがるよっだったよ」
犬を猫っ可愛がりするのはよくありませんなんてバカなことをいう獣医さんがいるようですけど、犬ってね、優しくされればされるほど、その人が好きで好きで堪らなくなっていくもんなんですよ。そういう意味で、ボクは幸せな奴ですけど、犬のボクが言うんですから、間違いありません。
その二代目もケンサンが17歳の時に死んだそうです。なぜ、17歳とはっきり言えるのかといえば、ケンサンのお父さんが亡くなった年でもあるからなんですって。
「高校二年の11月、期末試験の最中に親父は逝ったんだ。胃癌の手術からちょうど5年目だね。二代目コロは不思議なことに一週間後ぽっくり死んだ。前の日まで元気だったのに。お袋が『おとさんが寂しくて呼んだんじゃないのかしら』っていった言葉で、奇妙に納得したんだけどね」
で、ケンサン、ここでは泣かない。父親を失ったという喪失感のほうが、コロを失ったことよりも大きかったのかも知れないね。それとも、おじいさんの死とコロの死は気持ちの中で一つのものとしてまとめられていたのかもね。
なんて偉そうに解説しちゃったけど、犬であるボク的にいうと、そういう死に方って、かわいがられた犬としては最高の終わり方っていう感じなんだよね。
というわけで、ボクは洋犬でありながら三代目コロを襲名したというわけなのであります。
つづく。
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