さかのぼる事先週、僕はお仕事の研修であった。販売する親会社の商品が、どのような形で使用されているのかなど現場でしか体験できない事を、と老舗洋菓子店『ドリフ』(仮名)での修行であった。
実際、修行と思っているのはこっちサイドだけで、店側からすればじゃま、そして迷惑であり、営業妨害に近い行為であるが、オーナーパティシエのいかりや(仮名)は大きな心で了承してくれた。
せっかくの機会だし、ここでしかない出会いや感動、そして脱サラして店を出す野望を持ちつつ乗り込んだ。
早朝の店のドアを開けるといかりやの大きな挨拶で迎えられた。創業50年近くたつ今も、いかりやは1番に店に入り準備である。
最大時は100人近い従業員を抱えたオーナーでありながら、オープン当初から全く変わらないこの姿勢こそが作品に乗り移り、半世紀近くも客の心を引きつけ続けているのであろう。
まずは形から、用意されていた制服に着替えであった。モヒカンを軽く包み込む長い帽子をかぶり、ピーコートのようなボタンをしめて鏡前、ビックリするほど似合わなかった。やはりパティシエは太っていてナンボである。
そして作業開始、まずはシュークリーム作り、いかりやが作ったシュー生地にシークレットパウダーをパラパラであった。ただ粉をかける動作であるが、作る数なんと1000個、開始30分ですでに腕が重くなった。
ようやく完了すると次は焼きあがったシューの中にカスタード&ホイップを撃ち込んだ。その動作でも手が腱鞘炎になるのではというほどニギニギであった。
唯一のご褒美は入れすぎて破裂した失敗作のつまみ食いであった。やはりどんな食べ物でも出来立てが1番である。売れるお店は次々と出来立て、また売れて出来立てのサイクルが評判を呼ぶのである。
つまみ食いつつ悪戦苦闘する僕の横で、倍以上歳を喰ってるいかりやはシャアザクのようにキレのある素早い動きでスポンジやプリンを次々と焼き上げた。50年近く毎日続けているからこそ出来るのであろう。
その他次々と出る洗い物にも四苦八苦であった。普段我が家の洗い場担当の僕も、重く大きな鍋や複雑な調理器具を洗うのは本当に大変であった。
繊細でナヨナヨと言ったパティシエのイメージはすでに消え去り、力仕事の体力勝負であった。華やかそうな業界であるが、実際は苦労、努力そして根性と言った職人の世界であった。
続いてケーキ作り、10年目の女性パティシエ、柴崎(仮名)の指導であった。さすがにケーキ作りは触れる事は出来ず、話を聞きながら時折質問しながら終始見守った。
かなりめローテンションガールであったが、甘い話は別腹で、ケーキの話になると少女のようにおしゃべりであった。
作るケーキはメルヘンで、5個ぐらい限定で作り出される作品は、スポンジにプリン、フルーツと次々と手をくわえ、完成かと思いきやゼラチンをかけたり、チョコをまぶしたりであった。
最後に小道具で飾りつけてようやく完成、ケーキ1つ作るのにこんなにも手をかけるのかとビクリツであった。いかりやや柴崎の仕事っぷりから、ケーキは生もので何から何まで手作りなんだ、と感動であった。
甘いお菓子作りは、思いのほか甘くない、と痛感させられた。この先どんなローリング伝説があるかわからんが、少し甘めで採点するとしよう。
最後に客がいぬまにショーケースをジロり、少しであるが僕が手をくわえたシュークリームの姿にうっすら目頭が熱くなった。どんなに有名なパティシエでも、きっと最初はこの感動につつまれるのであろう。
いかりや曰く、その手を加えたケーキを「おいしい」ってお客から言われた感動は一入だそうである。次回の機会はクリスマス商戦でも参戦するとしよう。
おみやにもらったメロンのケーキを凱旋後ユウコと食した。50年近く味を変えてないケーキはちょっと古くさい、と思っていたが食べるとモロ懐かしく、子供の頃、親にねだったケーキの味はこんな味とユウコがムシャムシャであった。
うん千万するいかりや数台所有のクラシックカーの美学にリンクした。中途半端に古い車はただの型遅れであるが、とことん古いとプレミアものである。
新しいモノを次々作っては変え、変わり続ける事も大変で素晴らしい事であるが、50年間もの間変わらない事もすごい事である。いかりやの大きさ、変わらない事の素晴らしさを学んだ研修であった。
しばらくこの感動は続きそうだが、僕はドリフの味とは逆にいずれ忘れてしまうだろう。そんなときはまたドリフのケーキを喰らうとしよう。
この日はナッティにおみやは無かった。また次回は犬★ケーキでも買って帰るとしよう。ナッティはこの甘くないケーキの美学を理解は出来ないかもだが、いつのいつでもあきることなく大喜びで喰らうであろう。