終戦記念日
私の母は新潟の田舎町の比較的裕福な家の末っ子だった為
当時の記憶も
疎開で来た子供が学校にいたなぁ
その程度で怖い記憶がほとんどなかった
反対に 父は
東京の下町で生まれ育ち 東京大空襲を経験していた
当時 父は八歳。両親がいなかったその日
姉に連れられ 錦糸公園へ逃げた経緯や悲惨な状況を酒に酔うと
子供達に よく話した
夏の暑い日等は 冷酒を食らう父は うちわ片手に
浴衣の袖を肩までめくり上げていたので
袖口から肩がのぞき 無数の戦火を逃れたケロイドが見えた隠れした
私の子供の頃は 夏休みとなると 各デパートでは
戦争をテーマにした催しものがあった
爆弾が貫通した弁当箱や血染めの軍服や千人針などが展示され
それを見に連れ出された
イヤだった 悲しくなって こんな時代に生まれたらどうしよう・・・と
不安になり 決まって夜寝れなかった。
戦争のドラマを見ても 良く泣いた
感情移入してしまう
子供が生まれたら 不安や怖いという思いとは別に
当時の母達の苦労を思い 涙し
そして 今は 自分の子供がもし戦火に散ったら・・と胸が詰まり泣く
時代、時代で戦争への向き合い方が変化し 涙の質も変化している
ただ 変わらないのは平和への祈りだ
同じ事だけは 繰り返して欲しくないと。
15日の夜は 決まって
『こんなに 旨い具はなかったがなぁ・・・』と言いながら作る父のすいとんだった
父がなくなってから 18年。
8.15の我が家のすいとんを作ってみた
サンデーとハニーの寝息を聞き
娘に思い出話をしながら・・・平和を一緒に食べた気がする