今病気と戦っている fちゃんがいてる まだ八歳だ。肝炎から肝硬変になり 末期症状になって数ヶ月 今は戦うというよりも 共存してるといった方がいいのかもしれない。 アンモニアを下げる点滴で なんとか穏やかな時間を保っている状態
fちゃんママと色々話した
「きっと 本人はもう 点滴をやめてと言ってるやろな」…と涙ながらに話す fちゃんママ
辛い状態がもう何ヶ月も続いているのだ
ルビーに 亡くなる前日に (前日に亡くなったわんこ)H君に迎えにきてもらい て言ったら その言葉を待ってたらしく 次の日いっちゃったよ 、うれしかったんだってと話をしたら
fちゃんママは 「もう 何十回となく 頑張らなくていいよ て言ってるんだけど まだ頑張ってるんよ…何でやろ…」
まだ 旅立つ時じゃないと思ってるのかなあ
なんて話をしてて
もしかして 飼い主に
もうええで て思わせてるのかなあ などと話してて ふと思った
ルビーのあの苦しい時間はもしかして 私を もういいよと思わせる時間だったのか? そうでもしないと 亡くなって 悲しみにくれるだけになるからか? ホッとする気持ちが出るようにしたかったのかな? そうやっていなくなるショックをやわらげたのだろうか?
ちょっとそんな気がした。考えすぎかな?
fちゃんママとも話してたんだけど 人生に無駄なことなどない すべて何か意味があるんだ て そうかもしれない。そう感じる
アニマルコミュニケーションでも言われた。2人を看取ったのは私にはそれを経験する必要だったから。それで変わる何かがあるから。確かに私の中で何かがかわった
先日読んだ本に(ありがとう。ラッキー) ハッとする言葉があった
『私達が動物に贈ることのできる最高のプレゼントが、「旅立つことへの許し」である場合があります。今私はいとも簡単にこう書いていますが、以前はそのことに気づいていませんでした』
私はルビーに最高のプレゼントをしてあげたのかなあ…