今日は初代わんこ、ジョンの命日です。
居なくなってから、もう13年も経ってしまいました。
早いものです。
ジョンには謝らなければいけないことがたくさんあります。
最期の時、ぐったりしているジョンを親にせがんで医者に連れて行きました。
強心剤でも打たれたのでしょうか。
荒い呼吸のまま起き上がれないジョン。
夜中、母が言いました。
医者に行くべきではなかった。
朝になってもこのままだったら安楽死してもらおう。
その時の私は、なんてひどい事を言うのだろうと思いましたが、
今なら、解ります。
医者に行かなければ、
あのまま静かに逝けたことでしょう。
安楽死を選んでいたら
必要以上の苦痛、恐怖を与えることは無かったでしょう。
今なら、解るのです。
もう一つ、悔やまれるのはお骨を拾えなかったこと。
ジョンが、焼かれて、骨になって、出てくる。
という事実が、どうしても受け入れられなかった。
だからそのまま、共同墓地に入っていますが、
お骨を持ち帰って庭の隅に埋めてあげればよかった。
わんこの供養って、何が喜ぶのかな?と考えたとき、
やっぱり『思い出すこと』だと思うんです。
訳のわからないお経を、煙たいお線香を、犬は喜ばないと思うんです。
だから、たまに思いだすのです。
柔らかな茶色い毛、人懐こい大きな目、飛びついて甘える仕草、
海で泳いだこと、一緒に山に登ったこと、雷が嫌いだったこと・・・
思い出して、記憶の中で抱きしめる。
おかげでジョンは、いつまでも色褪せることがないのです。