多分記憶では去年の14日15日に岡山の病院にガーナを連れて行ってたはずです。去年も確か寒かったなあ…
朝ガーナの写真を携帯から探していると、ルーシーの亡くなる前日の最後に振り絞ったニコニコ顔や、亡くなる数時間前の写真を見入ってしまい、やはり涙がでてしまいました。(ガーナの写真は元気な時だから涙は出なかったのよ〜)
そしてルビーが何とか歩いてる頃公園で一人で数歩歩いてひっくりかえってるビデオも見てしまい、胸がぎゅうっとなり、なるべく元気な時の写真しかガーナのは探せずでした。
ルビーがヨタヨタしだした頃の携帯にはでんすけもガーナもほとんど写真を撮ってなくて、なんだかごめんねて思いました。
話がそれました。去年の今頃、ガーナを連れて病院に行き、余命二週間もありえます、安楽死も覚悟できますかと言われたこと。病理検査もし、麻酔をかけてCTをかけたことはあまり意味がなかったのかなあ と 少し思ってましたが、数日前にガーナの事を思いめぐらしてる時に ふと 余命二週間と言われなければ、店を休んでそばにいてやることをあの段階ではしなかったと思うのです。
友達の所に言ってガーナが伝えた 「お母さんにそばにいてほしい。」という最後の願いをかなえてあげれなかったかもしれない。病院でああいわれたからこそ 次の日から亡くなる日までの約2ヶ月近く そばにいてやれたのだと思う。そう思うと無駄ではなかったかなあと思う。負担をかけ麻酔をし 病院に一人預けた事も
人生には無意味なことはないというけど そうかもしれないね すべては偶然でなく必然なんだと。
ガーナを見舞いにきてくれた人達が 何人もの人が言ってた。
ガーナがいつも私を目で追ってた。片時も目を離したくないとばかりに。
私はいつも 病に倒れた子達が 私を追う 悲しげな目がとてつもなく辛く悲しい。それは今思いだしても 涙がでて胸が詰まってしまう。別れをおしかむかのように 瞼に私を焼き付けるかのように 生きてる間のあの子たちの熱い気持ちが突き刺さるように感じる。
ガーナもその悲しい寂しい目で私を常に追い続けてた。
その時間をたくさんとれて 満足してくれたかな?
ルビーはその目をしなかったなあ 意識がおかしくなってたからかもしれないけど 亡くなる二時間位前に 悲しい目はしてたけど もう私を追う元気はなかった
だからか ルビーは肺炎の闘病時を思いだしても胸が苦しくならない。
きっと好き放題して満足な気持ちで 旅立ったんだろね
ガーナ 最後の最期は意識がなかったと思うけど 満足してくれてるよね
今日は朝から泣いてしまった