グリアが生まれた頃、僕はまだ妻ともグリアとも会っていなくて、自分がネクタイを締めて会社に行くようになるなんて思っていなくて、20代は半永久的に続くと思っていた。多くのものは持っていなかったし、欲しがりもしなかった。でもいくつかの決してなくしたくないもの、なくしてはいけないものは、いまよりずっとリアルにそのざらざらした感覚を感じ取っていた。あれから年月が過ぎ、いくつかの大事なものは足掻く僕の指の隙間からこぼれ落ちていき、いくつかはもっと大事なものに取って代わられた。いくらか残った大事なものもいまでは涼しい日陰で息を潜めている。そんないまでは忘れかけた感覚をグリアは時々強引に呼び覚ましてくれます。今日はなぜか(たぶん暑かったのか)
扇風機を占領して立て籠りました。よっぽどグリアにとっては大事なものだったのでしょう。でも占領しても
扇風機の上に乗っていたのでは別に涼しくないのでは? しかも危ないし。でも僕はそんなグリアを見ていると無性にうらやましくなることがあります。なんていうか青春だよなぁ。理由なき反抗とか僕らの7日間戦争とかみたいにね。ただ残念なのはグリアが立て籠るのはせいぜい扇風機くらいだし、7分くらいですぐ飽きちゃうところである。グリア、もっと青春を突っ走ってもいいよ。
ところで最近ニュースを見ていて思うのだが、理由なき反抗はまだいいが、理由なき犯行は困る。文字変換で「りゆうなきはんこう」と打つと「理由なき犯行」と変換されるのは時代を反映しての所行なのか??? 困ったものだ。