先週の土曜日、またしても天王寺で開催された、高校の同志との新年会と言う名の飲み会に参加した。毎回ただの飲み会であるが、タイトルは重要である。
そしていつものように遅ればせながらの参加、遅れついでにMIOをかるく物色後、会場である居酒屋に駆けつけた。
毎回同じ事を思い書いているかもであるが、このメンバーに関して久しぶに会う緊張感や気遣いは無、昨日も学校で会ったかのようにごく自然に会話ははずむのである。
久しぶの再会であるが近況報告を怠り、それよりも今言いたい事を言いたい放題であった。思い出話やモテ学などランダムに繰り返される会話は気の向くままであった。
そして細かい事はどうあれ、時に真剣にお応えする次第であるが、僕の名ゼリフは同志の心に響いているのであろうか。
まあ名ゼリフ自体は薄っぺらいただのお言葉である。その言葉の値打ちを上げるも下げるも言った本人次第であろう。
犬飼いと犬の関係にしかりである。例えばナッティに対し、僕と同時にわれらのケンがどんなに美声で「おいで!」と言ってもナッティは僕の方へ来るであろう。
それは見た目の濃さや好みじゃなく、僕が日々ナッティのお世話をしているからである。今までどれだけやったかを、犬は素直に判断するのである。
対人間に対し、ごっついええ言葉を探すより、ごっついええ人間にならなくては。僕の人間としての価値が、言葉の値打ちをアゲアゲするのである。
多くを望まないが、少しでも同志のなんらかの力になれるよう、これからも生き様を大げさに言い伝えるとしよう。
せっかくの記念撮影も、薄暗い地下の酒場ではアル●イダのような組織に写る次第である。言動の過激さでは似たりよったりであった。
僕に出会えて良かったと、もっともっと思われるように、もっともっと思い出をなるべくたくさん作るとしよう。