先週の日曜日、『母の日』であった。幼くして別々の道を歩んだ僕にとっては無関係、商業目的で業界がこじつけたただのイベントであったが、あやかる業界インサイドマンとなった。
実際口下手で表現力の乏しいと言われるわが国民にとって、感謝する絶好のきっかけであり、子供からのささやかな演出は母親にとって何よりであろう。その演出に携わるお仕事につけて僕も何よりである。
血のつながりより気のつながり、を豪語する僕は、父や母の肩書きはなくともたくさんの人の影響を受け、知らず知ってか支えられて今がある。
犬の世界もそうである。今、ナッティの母犬が現れてもナッティは気づかないだろうし、血縁などない僕らトリオの群れに帰るであろう。
薄情な、と思われるかもであるが、犬や動物にも母が子を思う強い気持ちはある。自分の命に代えてまで外敵から子を守ったり、空腹を我慢してエサを与えたりである。
自分の娯楽の為やご都合で子供を死に導くひとのきもちは、動物界では理解出来ないであろう。人類は本能以外の脳みそデカく成長し、四六時中震わせ過ぎたのであろうか。
動物から見たひとのきもちは、破滅や破壊的で群れよりも自分の為に、に映っているのかもしれない。
もちろん人類の大半は素晴らしい母であろう。しかし、目に余る母の形を見かける事もしばしである。とは言っても僕は無力でここで愚痴る程度である。
しかし、ビーグル好きの駄目母親もいるかもである。万が一のきっかけになれば、である。
先日訪れたペット王国への道中、家族水入らずで道路に座り込み喫煙する姿を目撃した。座り込む行為になんら偏見はない。お行儀が悪い程度の広い気持ちで僕は見逃せる男である。
が、喫煙はどうかと思うし、その後のポイ捨てが僕の逆鱗に触れた。しかもポイ捨てた周りにはペット王国に向かう犬の群れがゾロゾロ…。
家族で犬を見に来たようであるが、同じ犬飼いになるのであれば恥ずかしい次第であり、肩身の狭い思いである。元犬嫌いとして、元犬嫌いが増えるようこれからもチクチクここだけで訴えるとしよう。
明るい話題も提供しておこう。関西の母、と言えばオバちゃんである。そのマナーなきパワーはなにわの活力である。
300円でジャーキー袋につめ放題のブースで、愛犬&家計思いからか明らかにルール無用でオブジェのようなジャーキーの塔をを制作しているオバちゃんが…。
試着でワンサイズ小さめを無理から着るかの如くの勢いで、ファスナーはあきらかに閉まらずであった。この姿には犬達も感動&喝采であろう。