少年の頃、歳を取ればわからない事や知らない知識は激減し、新しい発見や感動といった事も数少なくなっていくであろう、ととらえていたが、実際歳を重ねるごとにわからない事は増大し、日々発見する事もしばしばである。
先日不意に携帯のボタンを押し間違え、EZナビウォークと言う未知の画面に遭遇した。もちろんど貧乏の直感から「金を取られる!」といったセンサーが働き、そく電源ごとOFF!であった。
しかしこのような事は氷山の一角であり、携帯電話1つとって知られざる神秘がもりだくである。たかが携帯電話とあなどれず、ボタン1つ押すのにも、核ミサイルどうよう、もの凄い決断力と勇気を必要とするものである。
次から次へと現れる新機種や新機能、このままでは僕の選択肢は、「会社、ユウコ、自宅」の簡単ケータイかジュニアケータイの2つにしぼられるのではないだろうか。
その日が訪れるまで、ボタン1つで高額請求や、話しのボタン1つ掛け違えただけで、借金地獄に陥らぬよう、石橋をたたきつつ携帯をイジるとしよう。
話は少し変わるが、携帯もそうであるが、電化製品は昔に比べると大きく変化した。より便利に進化したことはもちろん良い事であるが、どこか機械の冷たさを感じるのは僕だけであろうか。
もちろん今も昔も形や機能は違えど同じ血の通わない機器である。が、しかし昔の機械はどこか人間味があったような気がする。
例えば、僕のど貧乏時代に誰かに譲り受けたテレビジョンは、雨の日は映りが悪かったり、後ろの配線の位置次第で映りが良くも悪くもなったりであった。
そして最終的には手で叩き、またその叩く微妙な力加減や位置で、クッキリ映ったり映らなかったりであった。当時どの電化製品も壊れたらまず叩いていた物である。
今では叩くどころか触るのすら恐ろしい次第である。リモコンなどなくいつも触れ合っていた事が遠い昔、こんなおバカな事を言えるのも平和ボケした今があるからなのであろう。
どれだけ機械が進化しようとも、犬の愛くるしさは表せない。アイボやどんなに進化したC.Gであっても、犬それぞれの個性を表現する事は出来ないであろう。
血が通い、脳みそを常にふるわせる生き物しかできない素晴らしさがここにある、と思う。そのものの生涯を左右するボタンは飼い主である僕が握っている。携帯のボタン同様、石橋を叩きつつナッティをイジるとしよう。
最後にペット界は進化した。犬★シャンプーの開発などで背脂ギトギトはないし、犬臭も激減した。少年時代、ノラ犬の背中をなでなでして付着したギトギト感と臭いが懐かしい今はやはり、平和ボケなのであろう。