最近、ペットブームでペットが増える一方で、当然ながら犬飼い人口も増えている。それに補い犬飼いの思想やスタイルも多様化し、衝突やトラブルも日々増えてるのも事実である。
僕の家近にある年度末公園では、小さいながらも犬飼いコミュニティーがあり、夕暮れのお散歩時には愛犬自慢や犬ニュースなど、愛犬同士が遊ぶのを肴に、時には愛犬を忘れて話しこむこともしばしばであった。
犬同様、犬飼いなら老若男女問わず集い、ナッティ共々楽しみに参加していた。年度末公園の前に立つビルディングのオーナーである細木(仮名)を中心に集い、犬つながりより細木つながりの犬飼いも多く、もの凄く僕は慕っていた。
細木は屋上で大型犬、室内でテリアを飼い、犬知識も博学であり、家近では名の知れた犬飼いであった。
人見知りの激しいナッティであるが、細木だけは別腹で、その姿を見るなりすり寄っていった。ナッティだけでなく、飼い主さえなつかないわがままダックスさえ、細木にだけはシッポフリフリであった。
犬はとても敏感で、犬には真の犬好きを見抜く能力があると言うのが細木の持論で、ズバリ!どんな犬にも自分は好かれる、と豪語していた。
金持ち特有の傲慢さもチラチラであったが、しつけに困った老人などの相談や、家近の犬事情にも詳しく、近所でも評判のカリスマ犬飼いであった。
が、ユウコが先日信じられない光景を目の当たりにした。なんと細木が背中で隠すようにナッティに犬オヤツを与えていたのだ。ユウコは怒り注意すると、ちょっとだけしか、と言い訳しながら立ち去ったそうである。
今思えば今までおかしい、と思うも後の祭りであった。基本ナッティは人見知りが激しく、細い若い女性のみ選んで接する女性が近寄り難い、繊細なセンサーの持ち主である。
太く丸い熟女に近づいた事など無かった。しかしカリスマという言葉に例外もあるのかと信じきっていた。集った一年半、スキを見ては細木はナッティにオヤツを与えていたのであろう。
全てを決めつける事はできないが、老人や他の犬にも同様の行為が行われていたと推測する。僕はナッティに申し訳ない気持ちとやりきれない気持ちでいっぱいになった。
ここで初めて告白するが、ナッティは腎臓が少し悪く、たんぱく質を摂取する事を控えなければならない。ユウコと2人、ペットショップをさすらい、犬イベントなど参加するのも、たんぱく質控えめのオヤツを探しさすらう意味もある。
細木ももちろん詳しい事情は知らなくとも、オヤツを制限している事を知っていた。ナッティの健康より自身の名誉を取る最低の犬飼いである。
しかし世間は冷たく、そんな事実を知っても他の犬飼いは今までの付き合いを選択し、なるべく平穏な日々を過ごしている。
僕が生きてきた世の中はそんなもん、とやり過ごせるかもであるが、犬のナッティに対しなんて無力な飼い主なんだ、とやり切れなかった。
終った過去を取り戻せることは出来ず、犬飼いとして、未来にもっと素晴らしい犬人生を送れるよう、努力する次第である。
人が飼う犬までも好かれようと思わない。人から好かれる犬飼いも二の次である。飼い犬に好かれ家族同様素晴らしい一生を演出できる犬飼いでありたい、ただそれだけある。