ナッティに出会うまで、僕の犬を飼う人間の行為の概念は、
人間が犬に対し一方的に指示や課題、そして物質を与え、
喜びや発見などの演出や機会を提供し続け、
そのリアクションやレスポンスなどをご観賞して、ほくそ笑む行為ととらえていた。
つまりお花やお植物を育て、ご観賞するご行為と相似すると、考えていた。
が、ちがう!犬も人間に対し、様々な事を気づかせてくれたり、時には勇気をくれたり、そして数多くのものを与えてくれるのである。
言葉が話せない犬は、微妙な鳴き声の違いを使い分け、体全体を使い感情を表現し、飼い主、つまり人間のツラい気分を払拭したり、癒してくれたりするのである。
犬は自分自身を犬だとは思っていないのである。差別しているのは人間側である。つまりナッティは僕やユウコを同じ群れ、つまり家族と認識しているのであろう。
今までナッティは僕とユウコに対し、どれだけ大きな『犬★パワー』与えてくれたことであろう。
もちろん、僕とユウコにとってもナッティは、かけがえのない家族である。
きっとこれからもナッティに数多くの『犬★パワー』をもらい、僕のできる最大限の、ナッティのステキな一生を、演出し続けるであろう。
犬嫌いの人から、うすら笑われるかもだが、人間と犬にだって『家族愛』が成立すると僕は思う。