先週末久しぶりに晴れたんで、家族で車で1時間ちょっとほどの所にある川に行った。
前夜、家近の『韓国★酒場』で居合わせたカメラマン、専門学校の料理長、占い師のババアと商店街の会長おじいとで、
15分ハーフで自分勝手に話が変わる、人の話し聞かない人達のハードな宴の次の日だけに、
川原で過ごす時間が、いつもよりゆっくりと感じられた。
ナッティと出会うまでは、自称ミュージシャン兼会社員としては、
日曜に早起きするヤツは、絶対に売れないし、遊びに行く事も夜が多かった。
それが今では、晴れたら6時起床。アウトドアグッズも日に日に増え、田舎暮らしを夢見るほどだ。
仕事に追われる日々だからだろうか?静かに流れる川の音は、本当に癒される。
ライフジャケットをつけてるのに、溺れてるようにも見えるナッティの泳ぐ姿は、嫌な事を忘れさせてくれる。
水の冷たさ、深さ、流れ。川はいつも違う顔している事を、この年になって初めて知った。
恥ずかしい話、街の川は汚れてなんぼであり、産業の発展の犠牲は仕方ないと思ってた。
古代人間の文明は、川と共に発展してきた。水害、氾濫をくり返しする川の側に、あえて人間が住み続けたのは、
食料、水、流通などの面もあっただろうが、古代の人間達も川が癒してくれる事を、知っていたのかもしれない。
街で暮らす多くの現代人が、このキレイな川の素晴らしさを知れば、汚そうなんて絶対思わないだろうし、
いつか僕の暮らす街を流れる川を、ライフジャケット着けたナッティが、溺れてるように泳ぐ日が、来るかもしれない。